体制化した漫画 − ポップカルチャーに反映される「力の均衡」
 
2000
 
シャロン・キンセラ


漫画は現在日本の全出版物の38%、全出版業界売り上げの22%を占めており、漫画産業は戦後日本における巨大文化産業のひとつであるといえる。他の巨大文化産業、例えば映画と比較すると、漫画産業は国内映画産業を60年代に追い抜き、90年代にはその3倍の売り上げをあげている。漫画は戦後ポップカルチャーの典型であるといえるだろう。英国や米国におけるロックやポップミュージックのように、現代の漫画は50年代の先駆者たちによって、すでにあった文化から形成された。60年代に入って出版社は連載漫画の週刊誌を発行し始め、マンガ産業は発展した。これらの漫画はおもに男性の学生、あるいは低学歴の勤労者を対象にしていた。漫画出版社は中国の文化大革命や在日米軍の基地などの左翼的な視点にたった革新的なストーリーを発行することにより、新たな青年読者層を大々的に獲得した。このようなトピックは他のメディアではタブー視されていた。

60年代の後半までには政治的でリアルな漫画(劇画)、前衛的な漫画(アングラ劇画)が確立した。いっぽう80年代には、少女を中心とした若者の同人誌のサブカルチャーが発生し、商業漫画産業の影で発展した(サブカルチャーとしてはおそらく世界でもまれな規模である)。漫画産業は90年代前半まで急速に成長し続け、百万部を超える漫画雑誌が12誌、15万部から百万部の雑誌が50誌に至るようになった。その人気と普及にも関わらず、漫画という媒体は教養人たちから見下された。それは漫画が学歴のない若者、左翼、学生活動家、後には強情で無教養な少女たちを対象としていたためである。80年代の中旬まで漫画は無知で低俗な文化であると広く捉えられ、親や教師たちは子供が漫画を読むのを止めようとし、漫画は教養のある者が買って読むようなものではないとされていた。講談社のような大出版社は、ベストセラーの少年漫画雑誌を発行することにより学術誌や純文学を発行する費用を補填しているのだが、漫画などと関わっていることは格式の高い出版社としての自尊心を傷つけることであった。

しかし、86年辺りから、漫画は突然恥ずかしいものから新鮮な可能性のあるメディアに変貌した。大企業、文化団体や政府機関は漫画という媒体から距離を置くのではなく、積極的に関与しメディアとしての漫画を自分たちに近づけようとした。この変容は、一見相容れないように見える二つの動きによって起こった。一方は検閲運動であり、もう一方は積極的な作用による文化への同化である。教育および文化団体が漫画を同化する過程は、ある漫画評論家により、長年「よそ者」や「流れ者」の扱いを受けてきた漫画に「文化的市民権」を与えるようなものだと巧妙に表現された(呉智英、「現代漫画」、1990年:p208ー217)。手塚治虫の教養主義の漫画(鉄腕アトム、火の鳥、ブラックジャック、など)、劇画(水木しげる、つげ義春、徳南清一郎の作品など)、新しいジャンルである青年政治経済漫画(小林よしのり、かわぐちかいじ、弘兼憲史らの作品)や、情報漫画(MADE IN JAPAN、マンガ日本経済入門)などが政府系の機関によって奨励された。

特定ジャンルの漫画の選択的同化は90年代にも継続したが、それに平行して全分野の漫画の内容に対する政府の監督強化を求める強力な運動があった。検閲に向かう法案は90年から92年にかけて特に集中した。下方評価と奨励の二重のキャンペーンにより「よい漫画」と「悪い漫画」の新しい規範が形成され、良いものと悪いものをよりわける機構が設置された。公的範疇において、また現実においても漫画はほとんど二つの別の媒体に分裂させられた。国の文化としての規定に合わない漫画は批判され、問題図書とされ、除外され、撤去された。強化された条例によってこのような漫画の商業ベースでの制作はますます難しくなった。特に「やおい」や「ロリコン」といった多様な性を表現する時流の同人誌起源のジャンルは、あきらかに上品な文化としての漫画の新しい定義に準拠しないため強い規制を受けた。人気少女漫画家森園みるくは94年の東京でのインタヴューで「90年までは政治と天皇に関することというおおきなタブーはあったものの、性的表現を差し抑えようとする出版社はなかった。」と言っている。政府機関が懸念または賛美する漫画のタイプが基本的に変わったのである。新たな漫画の規制は天皇制や部落問題のような伝統的な政治核心問題に対してはより寛容であろうとし、ジェンダー、パーソナリティやセクシュアリティのような新しいサブポリティクス("sub politics" - Ulrich Beck、Risk Society、1992年:p190-198)のテーマに対してはあまり柔軟であろうとしないという傾向がある。

漫画の規制の方向性の変容は、政治的状況の移行のみならず政治的活動の場所の変容をも反映している。一般に漫画に対する規則は市町村レベルの地方公共団体や県レベルでの青少年育成国民会議やPTA、地方公共団体に付随した町内会や婦人会によって行われた。それに対して漫画の振興は主に文部省や東京都近代美術館のような国家文化機関や全国規模のメディアによって音頭が取られた。

この規制促進運動は戦後自民党支配を草の根的に支持してきた地方政府の伝統的な政治勢力によって育まれた。一方漫画の振興は、新しいより中央集権的、都会的な政治的リーダーシップを強化しようとする個人や団体によって促進された。漫画へのより厳しい検閲をを求める運動と漫画に対してより大きな文化的地位を与える運動は、個々の運動団体には価値観の衝突としてとらえられた。しかし、社会全体でみるとこの二つの動きは組み合わさって、官僚制による漫画メディアに対する干渉と新しい問題意識や価値観の強制をすすめる過程となった。

政府と産業界の漫画に対する関心の増加は、彼らが社会とコミュニケーションをとるための新しい方法を見つけることが肝要であると考えていたことの現われである。社会をまとめるのに役に立つ新しい社会的文化的価値感をつくりあげたいという欲求が、大企業と政府機関とのあいだで80年代の半ばからでてきたように思われる。「マンガ日本経済入門」(石叶X章太郎、1986)が発行されたのを追って、企業や政府機関が漫画を利用、奨励するようになった。漫画は彼らの思想を自社職員、若者、子供たち、そして社会全般に伝える媒体となった。
 個人と国の政治とを結び付ける開かれた議論や政治運動が欠如しているなかで、企業や政府は彼らを取り巻く無口な群衆をもっと理解すべきであると考えたり、ばらばらな個人と対話する新しい方法をつくろうとし、ポップカルチャーの領域に踏み込んだのである。青年漫画は、大企業や政府機関にとって、彼らの考えを一般民衆に伝えるための、また、漫画には表現されるがインテリの論説からは得られない現代的な感覚や事象をとらえるための新しい手段となった。

漫画に国の文化としての地位を与えて昇格させたことを通じて、日本の政府省庁や機関はより包括的で時代に即した柔軟なスタイルの政策の可能性を提示した。同時に新しいスタイルにたいする人々の反応をみるという意図もあったと思われる。この際に動員された「記号」は政治的であるとともに文化的であるところに特徴がある。  青年漫画を国の文化的蓄積として受け入れたことは、政府の組織が従来漫画と結び付けられることが多かった新左翼系の政治思想を認知し、そのような傾向をもった団体とも手を組む意思を持つようになったことを強く示唆している。新政党党首の小沢一郎は「加治隆介の議」がお気に入りの漫画だと表明している。彼のような政治家は積極的に自分を新しいジャンルの政治的な青年漫画に結び付けることにより、自らの思想が進取的でリベラルであることを表わそうとした。アメリカ大統領ビルクリントンがジャズを愛し、英国首相トニーブレアが国家的ポップカルチャー計画である "Cool Britannia" を提唱したように、政治主体に文化的個性を与えようとする同時代人の列に小沢は加わったのである。

大企業や政府団体が社会と関係を位置づけ統治することが難しいと感じたのと同様に、漫画の編集者も同じ問題に違った側面からつきあたっていた。無関心と個人主義が神格化された状態の社会のなかで、編集者たちはかつての社会運動や社会表現のなかで培われた媒体を再生産することに腐心していた。大衆運動やそれに付随した社会意識の消失、それにたいする感傷すらも失われてしまったことは編集者たちにとって困ったことであった。大量購読雑誌の内容や読者層のありかたに対する編集側の自信は80年代末に減退した。これと同様に、政治はいかになされるべきか、現代社会の本質とは何かということに関する政権側の識見もあやふやなものとなっていた。文化の内部外部を問わず、個人や社会的意識がいかに組織構成されるべきかということについての本質的な仮定がくずれていたのである。

90年代初め特定ジャンルの同人誌系漫画は悪とみなされたが、それは社会の分断と若者の社会性の低下はメディアの仕業であるというより大きな議論に連動している(キンセラ、1998年)。若者にたいするメディアの影響に関する議論は、青年漫画編集者の漫画媒体に対する評価基準に影響し、彼らはいかに商業漫画を制作するべきかという悩みを深めた。全国規模で大ヒットする漫画がなくなり、小規模の分断された読者層に支持されるマイナーで利益の薄いヒット作品が多くなったと漫画出版社は気づいていた。多くがこの問題は多様化する消費者文化や漫画同人文化における若者の特徴から来ているとした。最先端の若い漫画家たちはあまりにも個人主義的で主観的であると見なされた。これらの漫画家たちには普遍的もしくは社会的なテーマで国民規模のベストセラーの作品をつくりだすことはできないだろうと編集者たちは評価を下した。さらに言えば、大多数の同人漫画は実際にはパロディであり、すでに商業雑誌で出版された連載作品から来ている。漫画同人界は70年代に著名な漫画家たちを輩出したが、もはや新しいアイデァや漫画家を発掘できる場ではないと漫画雑誌編集者たちは考えるようになった。

新しい形態の政治社会劇を創造することができそうな漫画家がいないという問題を克服するために、編集者たちは新しい連載漫画を企画、研究する役を引き受け始めた。より品性の高い教養のある青年漫画をつくることに漫画編集者の新しい知的な機能が集中された。60年代半ばと90年代半ばとでは青年漫画における想像力と思想の伝達の方向が逆転している。60年代には(特別の才能はあるが)社会的地位のない一般人から想像力が端を発し上昇していったが、70年代においてこの流れは失速していった。近年では社会的に地位の高い編集者たちが青年漫画のアイディアを創るようになり、これがアマチュア漫画の世界に浸透し、それをもとにしたパロディが描かれている。
 企業、政府機関や編集者が漫画の内容を決めるのにより大きい影響力を持つようになり、しだいに漫画家や読者が寄与できなくなっていった。漫画における知的な力の均衡は90年代に大きく変動した。現代日本に見られる最大かつ知的に多様で創造的な文化形態である漫画における知的表現の社会的源泉の移動は、90年代の日本社会に起きた知の構造の再編成の過程を反映している。この十年間で社会の中の多くの部分が知的政治的議論おける積極的な役割を完全に失った。

編集者中心の漫画制作は漫画のストーリーに内在する政治的思想に影響を及ぼした。集団として編集者たちはより政治に敏感な方であり、90年8月以降の湾岸戦争において発生した新しい論調に特に敏感であった。編集者の発想をもとにする漫画は、現代的道徳と政治的公正(Political Correctness) の要素を体制側の視点で結合させた。新しい政治思想はモーニング誌やミスターマガジン誌で「沈黙の艦隊」や「加治隆介の議」などの連載漫画に表現された。これらの雑誌における連載漫画は意図的で現実的なテーマを持ち、明確な政治的な筋書がある。例えば、個人的および国家的な責任、強い主導力の発揮、政治や企業内での派閥主義の打破、日本の軍事力の再編成、などの90年代の政治議論によく見受けられる概念(石原信太郎、1991年、小沢一郎、1994年)は青年漫画のテーマによく使われた。編集部は彼らの問題意識や価値観に同調できる政治的漫画家をひいきにした。そのような漫画家は実際少数で、一般的な漫画家の世界観を代表していない。有名青年漫画誌で「課長島耕作」「加治隆介の議」を描いた弘兼憲史は、単に自分の他に彼のような保守的政治思想を持った漫画家が漫画界にいない(ので彼にお鉢が回ってきた)とみずから指摘している。(インタヴュー、97年秋東京にて)

青年及び少年漫画出版社は漫画を改革して、現代の新しい社会政治状況において隆盛を誇ることのできる新取的な文化媒体にしようとした。改善された漫画の公的地位により、漫画雑誌をより文化的に保守的な読者層、漫画雑誌を読もうとしなかった層のために拡張できる可能性が高まった。出版社は減少する伝統的読者層の期待に応じることをしだいにやめ、大衆うけをねらった漫画のテーマは保守的、政治的、社会的なものに取って代わられた。これはより政治関心や社会性のある、文化的に「成熟した」新しい漫画読者層をねらってのことである。政治的な青年漫画の社会的地位が急に昇格したことをうけて、漫画出版社は彼らが知的な部分をコントロールした、上品で「文化的」な漫画を制作することで対応した。文化教育機関や強大な会社による漫画の占有は、出版社に勤める編集者たちによる漫画制作のかぎとなる知的機能の占有と密接に関係している。
 漫画の変容は社会を横断した現象である。この現象は次にあげるような多くの個人や組織を巻き込んだ社会的連関の中で起きた。それは、個々の漫画家や出版社や編集者と、文化教育機関や地方あるいは中央政府の官僚制機構や政府外郭団体やマスコミとの関係であり、さらに後者と知識人や政治家や学者や市民団体やフェミニスト団体や漫画読者との関係があげられる。レイモンド・ウィリアムスのいう「物質的生産と、政治的文化的な機構とその活動と、社会的な意識の三者の間の断ち切ることのできない連携」と漫画は、戦後政治権力構造の解明に直結するのである。

80年代半ば以降の青年漫画雑誌に現れた現実的な政治的漫画は、政治的なテーマを明示し写実的な劇画風の絵がともなうという点では、70年代への回帰を示している。しかしながらこの回帰において政治的青年漫画は反体制から順体制へと陣営を変えた。商業漫画媒体の初期において青年漫画の開花に携わり、同じ劇画様式で近年は基本的に保守的で無批判な御用漫画をすすんで制作している人たちにとって、この政治思想の反転は左翼主題の最終的な廃棄を意味する。コミックボックス編集長才谷遼とベテラン漫画家の永島慎二は、大部数を誇る青年漫画雑誌の90年代における政治的転換を“転向”と表現している。


補記:
この記事は「青年漫画 − 現代日本社会の文化と権力」(Richmond, UK:Curzon出版、2000年2月)をもとに構成した。